農業が生んだ宮内伊予柑が育つ松山市
◇エピソード(生い立ち・歴史)◇ 愛媛の自然の豊かさがはぐくんだ宮内いよかん 伊予柑は、明治19年に山口県阿武郡東分村(現萩市)の中村正路氏の園で発見された偶発実生です。親品種は明らかとなっていません。 当初は穴門みかん(あなどみかん)と呼ばれてたが、明治22年に松山市の三好保徳氏が原木を購入して愛媛県に導入し、苗木を育成して近隣の農家に配り栽培を奨励しました。 やがて松山市周辺に産地が形成され、伊予蜜柑という呼び名で京浜市場に出荷されるようになりましたが、愛媛県産の温州みかんと混同されることから、昭和5年に伊予柑という名になりました。 その後栽培面積が増加し、枝変わりから宮内伊予柑が発見されて広く栽培されるようになると、従来の伊予柑は普通伊予柑と呼ばれるようになりました。宮内伊予柑は、昭和30年に松山市平田町の宮内義正氏の伊予柑園で発見された枝変わりで、昭和41年11月に種苗名称登録されています。- 次のページへ:そらまめ
- 前のページへ:農業が生んだ宮内伊予柑が育つ松山市
農業が生んだ宮内伊予柑が育つ松山市 デリヘル(松山)へようこそ!
このサイトは管理人の備忘録としての情報をまとめたものです。
掲載の記事・写真・イラストなどの無断複写・転載等はご遠慮ください。

